メンタルが強い人に、憧れている。
わたしは、メンタルがめっぽう弱いと自覚しながら、生きてきた。
弱さを露呈するエピソードとしては、何の意見も言えなかった学生時代に始まり、ブラックな仕事環境だった職場に体調不良ということにして突然行かなくなったことや、プレゼン前に激しい動悸と吐き気を感じることがあること、他人が怒られていても心臓がキュッと痛むこと、否定的な意見が忘れられず何度も何度も思い出してしまうこと、お酒の失敗が今なお尾を引いていること、などがある。
それでも、そのような経験をいくつも経てきて、ちょっとずつ鍛えられた気がしている。
おそらく今ブラック企業に就職してしまったら、考えをはっきり述べてから辞めるだろうし、プレゼン前は緊張するけれど失敗してもしょうがないと思えるし、他人が怒られていたらそっと距離を置く。否定的な意見については完璧には克服できずにいるけれど、それもいなすことができるようになってきた。
そして、この頃は生き方とメンタルの持っていき方って、リンクしているのだと気がついた。
お金の価値を見誤っていた頃は、ブラック企業から抜け出せなかった。 他人の目が気になっていた頃は、プレゼンでも失敗したくない気持ちが強かった。 その他大勢のうちの一人だった頃は、ちょっとしたことにもダメージを受けていた。
今は、違う。
子どもを育てるという責任以上に、わたしにとって大きいものはないと知った。 思い通りになんて一つもならないので、臨機応変を覚えた。 愛おしさは、お金では計れないと心から思えた。 失敗しながら成長していくこと、 気持ちの持ちようで物事の見え方が変わること、 自分の力でコントロールできないことは山ほどあること、 身体が資本なこと。
こうして、今のわたしがあるのだが、今でもストレス負荷がかかるときがある。 それは、仕事で自分にはできないかもしれない、難しいかもしれない、失敗して怒られるかもしれない、という案件の話が来たとき。 ただ、「無理かも」と思う仕事こそ、チャレンジしてみよう、とも決めた。自分がやりやすい仕事ばかりしていたら、成長はないだろう。怒られたらその時はその時。失敗したら次に生かせばいい。そもそも、完璧にやれると思っている時点でおこがましい。こんな風に前向きに捉えることができるようになったのも、年の功だろうか。
「お金をもらってるから、ちゃんとやらないと。」と思いすぎないようにもしている。 お金を崇拝しすぎなのである。お金をもらっていなくても、ちゃんとやる方がいいし、対価は適正であるべきなのである。
少し難しいことが増えてきて、不安やストレスを感じることがあり、改めて記してみた。
大丈夫、なんとかなる。
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金木犀の香りが、心地いい。
今年は珍しく2回咲いたようで、楽しみが長くて得した気分。
昨日の夕方、お迎え時の夕焼けがあまりに風光明媚て。 飛行機雲も流れて、道ゆく人が空を見上げる、その光景も素敵で、ほっこり。
朝陽が、すべてを眩くしてくれる。
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キヌアが売っていなくて、クスクスを買ってみた。 まだたくさんあるので、どうやって食べるか研究したい。 (思ったより腹持ちがいい)
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