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執筆者の写真official

て、からでる何か

昔、カメハメ派かでないか試したことがあります。

なんか出る気がしたけど、なにも出ませんでした。素直だったので、修行が必要なのかなと思い諦めました。

この頃、手から何かが出ていると考える方が自然な気がしています。

手仕事、手作りと、機械や工場とのちがいってなんなんだろう。 そこには明確な差があるにもかかわらず、科学的に立証されるものはなにもないという不思議。

て、から出ている何か。波動というと怪しい?想いというと漠然としすぎ?エネルギーというとやっぱり怪しい?

とにかく私の予想では、手以外からもなにか出ているけれど、手からが、そのなにかが一番出やすい。なぜなら、意識が集中しやすいから。なにかに触れている時間が長いから。いかがでしょう。

土を採取し、手で捏ねて形成され、焼き上げられた焼き物を触れるたび、使うたびに、優しい気持ちになります。きちんと盛ろう、と思うのです。

それは、工場で大量生産されたものとは違うと知っているからなのでしょうか、知らなくてもそう感じるものなのでしょうか。ブラセボ的なことなのでしょうか。

先日、夫のお母さんと話すことがありました。おにぎりメーカー的な、自分で握らなくても作れるグッズが片付けをしていたら出てきたそうです。便利なものがあったと使ってみると、おにぎりがぜんぜんおいしくない。そこで思い出されたようです。以前購入したときにおにぎりを作った時も、おいしくなかったので「これはダメだわ」と思い片付けたことを。

おにぎりは、人の手で握りから、おいしい。お寿司もそうです。機械で形成されたものと職人さんが握るものは明らかに違う。ふんわりがどう、とかそういうことだけでもない。

前々からそのくらい知っていたけれど、腑に落ちたのは最近。知っているというのは極めて浅はかな状態なんですね。

知っているから一歩超えるかどうかで、生き方は大きく左右されますね。

そう、思います。

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