なぜか不相応に大きなオーブンレンジが我が家にはあった。両親から、必要だろうと買ってもらったのが8年ほど前だったと思う。 結婚し子どもが生まれ、毎日ご飯を作るようになると、献立に悩むようになる。 献立に悩むと、レシピを検索するようになる。レシピを検索すると、電子レンジを使うレシピが出てくる。そうやって、レンジを使うことに深い疑問は持っていなかった。
でも、元々ラップが溶けたりすることに抵抗があり、心の奥底で「できれば使いたくない」という気持ちがあったのも確か。レンジで時短という甘い言葉に乗せられ作った料理の数々。チンするだけのコンビニやスーパーのおかず。 料理に対する考え方が変わったのは、いつからだったのか。
長男が生まれ長女も生まれ毎日作らなければならないご飯に殆愛想がつき始めていた頃、土井善晴さんの「一汁一菜があれば充分」という考えに感化され、ひたすらご飯を炊き、味噌汁を作り、あとはサラダだったり肉や魚を焼くだけだったりというメニューにシフトした。 そうなると、わざわざ毎日違うものを作らないといけないという呪縛から逃れることができる。レシピを検索することもない。ただ、旬のものや食べたいものを買って、味噌汁に入れるか、蒸すか焼くだけ。 わざわざ献立のバリエーションのためにおかずを買ってチンすることもない。 たまに余裕がある時や休日だけ、餃子を作ってみたり唐揚げをしてあげたりすると、それがスペシャルなことになって、子どももパーティーみたい!と喜ぶ。 どうしても無理な時だけ市販のおかずを買うけれど、温めはお鍋や蒸し器、フライパンでもできる。
「料理と利他」土井善晴・中島岳志(著)を読んだ今年の1月(その時の記事はこちら)には、
料理をして、それを食べてもらえるということは、幸せなことで、 チンしてどうぞよりも、自分が選んだ食材を、自分で洗い、切り、調理して、お皿に盛る、そしてみんなで食べる。 その過程も含めて、食卓は安心で楽しいものなのだ。
という考えに至ることができた。 (とはいえ、3食全部一緒はちょっとなと思ってご飯何にしようとか悩むことは今もあるし、これだけ?というクレームを受けることもしばしば)
そして急に訪れた有機農業への興味。健康への意識。 アレルギー体質なのは変えようがないと思っていたけれど、そうではないのかも知れない。何だか調子が悪いといった時に、病院で診断してもらい薬をもらう意外にも、自分で自分の状態を確認してある程度のことはケアできるように、という考えになったことも大きく、電子レンジによっておこると言われている食材の変化や電磁波(レンジを使用していると我が家のWi-Fiは途切れる)のことも気になり始め、安全なのかも知れないけれど、使用しなくて済むならその方がいいなと思うようになった。
こうしてこの8年の間で、「電子レンジは使いたくない」気持ちがどんどん醸成され、ついに今年はレンジを使用せず生活することを試していた。
なくてもいけるな、と思い家族に処分することを確認すると、いやいるやろ、と言われしばらく置いていたのだが、なんせ、オーブンレンジは大きいのである。 邪魔。存在感がありすぎる。
これが決定打になり、処分を決めた。
家族には、どうしても電子レンジが欲しいなら小さいものを買ってと伝えて。
今はレンジなし生活だけど、全く不便さを感じていない。 あったらよかったなと思う場面にもまだ遭遇していない。
違和感を感じるものをごまかしながら使うのって、気持ちがスッキリしないものなんだなと、なくなってようやく気がついている。
そして、家族が必要だと考えてレンジを買ってきて使うとしても、否定はしないと決めている。考えは人それぞれなので。
…
ついに、ジビエに手を出してみた。食べるのドキドキ。
長男の給食が今日からようやく始まる。お弁当を毎日持たせるのは大変なので、給食に感謝…。
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