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コミュニケーションコストについてその②

コミュニケーションコストについて、家で話をしたら、「コミュニケーションは、コストをかけるもの」という意見が出て、そうかぁ〜、それもそうだなぁと、もう一度考えることに。

そもそも、会話したり触れ合わなければ分からないことは多いし、コミュニケーションは人が人であるためには必須なので、ゼロにはできない。分かり合えるのに時間ってそれなりにかかるものだということも、理解できる。

コストと言ってしまうと語弊があるのかもしれない。(めちゃくちゃしっくりくる言葉だと思ったのだけれど)

大きな組織やチームで働いていると、コミュニケーションに難ありの人は必ずいるもので、それでも力を合わせて、一つの方向に向かわすのが、リーダーの役割らしい。多様性がある方が、強い組織になるというデータもあるんだとか。排除ではなくて、許容。いや、許容というと上からな感じがするので、容認かな。

ついでに、怒りやイラつきは、興味のあるものなのに不可解なときに起こる感情と聞いたこともある。

伝わらなくてモヤモヤしたり、どうしても考えが合わなくてイラついたり、でも、お互い相手のことをもっと知れば分かり合えるのかもしれないし、相手には相手の考えが、言い分がある。全部が全部分かり合えるとは正直思っていないけれど、わかろうとする姿勢は持っておくべきかなぁ。

しかも早く理解できる人が優れている、とは限らなくて、今の時代の仕事の基準では、スピードが速いほうがよくて生産性が高い方がいいから、仕事が早い=できる=稼げる、というだけ。

上手く纏まらないけれど、お互い様ということで、コミュニケーションコストという言葉はやめて、認め合う努力はしようと、考えを変えた。

コミュニケーションコストが高い人だから、とバッサリ諦めてしまうのではなく、ならどうしたらいいのかを、考える人でいようと思う。

とはいえ、どうやっても苦手な人や、一緒にいるとストレスをめちゃくちゃ感じる相手もいるので、そういう人は出来る限り避けて、自分を守りつつやっていきたい。

言語化することによって意識、その事象が明確になる。言葉の力というものをつくづく感じる。いままでなかったものが、急に存在するようになる不思議さといったら。

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