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執筆者の写真official

ホームパーティーmenu/器を選ぶということ

子どもたちお待ちかねの、日曜日がやってきた。

仲良しのお友達家族とホームパーティーの日。 おつかれさま会と名付け、お昼ご飯は、うちが用意するね、と伝えていた。ざっくりとメニューを共有していたら、お友達の子どもがめちゃくちゃ楽しみにしているというので、ちょっぴりプレッシャーがかかるも、できることをするのみ。 おやつに、ケーキ持参の打診があったので、クレープでも作ろうかと提案。ホイップしたクリームとフルーツを持ってきてくれることになった。

手作りの、ストラックアウトやビンゴをして、これまた手作りメダルとちょっとした(鉛筆など)プレゼントの贈呈。ポケモンのボードゲームをして、ようやくランチ。

specialランチメニュー。

米粉のケークサレ、カリフラワーのポタージュ、人参しりしり、オイルサーディン、オリーブ、サラミ、じゃがいものピュレ2種、チャーシュー、ウインナーマスタード添え、カボチャサラダ、キヌア入りフレッシュサラダ プラス、バゲット。

添加物フリー、チャーシュー以外シュガーフリー。(たぶん)

みんな完食(うちの野菜嫌いの娘はフレッシュサラダは食べず、想定内)してくれて、めっちゃ嬉しい。

お野菜を食べてくれる子どもたち、サイコー。

ワンプレートだとオシャレに見えるし、テーブルの上に置きやすい。洗い物も少ない。一人がたくさん取りすぎることもない。(子どもは好きなものばかり取りがちなので)(大人4人、子ども6人)(チーズとクラッカーとチップスを添えるのを忘れていた…)

おいしいの声って、ただただ嬉しい。 お砂糖は使っていなくて、お野菜が多いので、たくさん食べても胃が痛くもならないし、眠たくならない。(バゲットをいっぱい食べると別だけど)吹き出物ができることもない。ブラボー。(変な外食やインスタントのもの、市販のお菓子を食べるとすぐ吹き出物ができる)

もっとおもてなしするべく、器が欲しくなる。カラトリーも欲しい。ミニマムな暮らしで楽になったはずなのに、欲はちょっとしたきっかけですぐにやってくる。身の丈に合ったものを。使うものを。作り手の心があるものを。モノではなく、ココロが豊かな暮らしを。

何はともあれ、とっても素敵な時間を過ごせた。クレープも作って、子どもたちの「おかわり」の声に「最後にして!」と嗜める。よく食べる子たちの食べ過ぎを止めるのは大変。食べない子どもの大変さを聞くと、別世界のよう。

これからはホームパーティーをもっとしたい!買ってきたお料理も外食もいいけれど、食べてもらった時の想像をしながら作る過程も含めて、手作りが楽しい。心がこもる。 マンションの下の階に、若い家族が新しく引っ越してくるので、来年早々、お誘いしてみようと思っている。

誘われた方々、お付き合いください。

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大学進学につき一人暮らしをするとき、食器が必要だと思った。

母から、「家の食器をもっていったら」と言われてなんとなく断るのも角が立つかと思い、持っていった。 全然気に入ってもいない、でも嫌いでもない、あることが当たり前の毎日使ってきた食器。一人分だけだったので、その後、足りないなと思うものは100均や雑貨屋さんで深く考えずに購入し揃えた。

そしていま。 そのようにして揃えた食器を見るたびに、ガッカリする。 もう少しマシなものを選べなかったのか。 考えずに買うということは、なんて、浅はかなのか。

生活するということを、わかっていない幼稚な18歳だった。

手をかけて育てられた食材を、さらに手をかけて料理をする。 その食べ物を、最終的に装う器。大事に決まっている。

気に入っていない食器に限って、全然割れない。壊れない。

家にあるものを、見直して、不要なものは手放しお気に入りで固めようとしている。そうできることを、なんて贅沢なんだろう、と思う。素敵なものを作ってくれる人に感謝して、私も何かを提供できる人になりたいし、なるつもりである。

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お部屋を片付けて、テーブルクロスを引いたけれど、2歳に引っ張られてクロスは諦めた。

本棚も、整頓。整頓してもごちゃごちゃなのは、本棚に対して本やモノが多いからと分かっている。分かっているが、増える一方。

パーティーにはお花が欠かせない。でも子どもたちがいて危険なので、ご飯中は玄関へ…。

米粉のケークサレ。こんがりと美味しく焼けた。小麦粉である必要を感じない出来栄え。

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