人を動かすもの、それは「希望」だと思っている。
買い物の衝動は言わずもがな、これをやっておいてあげたら〇〇が喜ぶだろうな、とかこれだけ勉強したら受かるだろう、とか受かったら自分の価値が上がるとか。食事制限をしたら痩せてきれいになってモテるとか。 私が会社を辞めてフリーランスになったのも、フリーランスになればもう少し時間の融通がきくに違いないという希望があったから。(実際に時間の融通はきくようになった。お金がリスキーだといわれたが、それは全くもってその通り)(アメリカでは40%ぐらいがすでにフリーランスらしい。日本にもその波がきつつあるっぽい)
動くきっかけとなる希望の種類も量も、当たり前だけど、人によって違う。
なんでもいいから今の現状を変えたいと思っている人は少ない希望でも動くことが多いし、 今に満足していて変わる必然性を感じていない人を動かすためには、たくさんの希望が必要となる。 希望とセットでデメリットが見え隠れする時は、メリットとデメリットを天秤にかけて判断する。 判断するには、デメリットの情報も必要だったりする。 これが案外難しい。 広告はいいことしか言わない。(ことが多い)
今の私は、現状に満足しつつ、少しだけ変わりたいと思っている。 この少しの部分に、ピンポイントでヒットしなければ、動こうと思えない。 かつデメリットと天秤にかけてメリットが大きいと判断できた場合しか、動かない。
ちなみに、希望は人に後押ししてもらったり、与えられる場合もあるけれど、自分で見つけ出すものでもある。 できることなら自分で動き出したいんだよね。
「大豆田とわこと3人の元夫」で、とわこが「欲しいものは自分で手に入れたい」みたいなことを言っていたけれど、その感覚に近いかな。(めちゃくちゃいいドラマでまだ私の中には余韻が残っている)
わがままだけど、本当に辛い時、自分ではどうにもならない時は救い出して欲しい。 ある程度自分がしっかりしている時は、自分で自分の道を決めて進みたい。 多分、ほとんどの人がそんな動き方をしていると思う。 ということは、本当に辛い人には手助けをして、そうでない人は見守るのが一番。 もう一つ。希望がお金のことが多い世の中だけど、お金に代るもの(信頼など)の方が、重要だったりする。「メリット:お金は入る、デメリット:信用を失う」のパターンが一番選択してはいけないものだと個人的には考えている。 先にお金が失われるもの(高額な買い物や学校教育など)については、それを上回るメリットを知って納得してから、決断するべきだとも思っている。
こんなことを考えることになったのは、いろんな勧誘が多いから。 自ら探し出して参加するコミュニティーですら、後悔することがあるのに、人から勧められて流されてしまうと何かあったときに人のせいにしてしまう。それが私が今最も怖れていることである。
お花に癒されたり、ちょっと拘って写真をとってみたり。 このゆるさは、捨てがたい。
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