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執筆者の写真kayo

古文書(こもんじょ)の魅力と私。

しばらく更新ができずにおりました。 この半年の中で今が一番ぎゅっと仕事が詰まっております。

ありがたいことではありますが、仕事量と収入と自分の時間(インプットの時間)と新しいことへのチャレンジのバランスが悪いように思えてきたので、軌道修正を今年中に行うつもりです。(正直に言うと、薄利多売になってしまっているのです)

フラフラ漂う私。

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古文書の話に入ります。

古文書について、何一つ考えてみたことも触れ合ったこともなかったのですが、ちょっとだけ古文書について話を聞く機会がありました。(こういうのがライターの醍醐味。新しい世界を知るの、好き。楽しい。)

古文書とは、ウィキペディアではこの記載↓

古文書とは、特定の対象に伝達する意志をもってする所の意思表示の所産である。広く「古い文書」の意味でも使われるが、歴史学上は古記録と区別されることがある。

出典:Wikipedia

つまり、昔の人が誰かに伝えたいことを書き記した文書です。(多分)偉い人が書いたものなどでレベルわけもされているよう。

書かれているくずし字を解読するのが、まず難しく訓練がいるそう。語学の習得と一緒で、センスもあるらしい。サッと読めるようになる人もいれば、苦戦する人も。(くずし字読めるようになりたい!)

今もまだ解読されていない古い書はたくさんあって、お寺や神社、おばあちゃんちなどに眠っていたりする。それを解読したからって、何になるわけでもないのかもしれない。でも歴史が覆すようなものがあるのかもしれない。わからないけれど、私はえらい人が書いたものでなくて、一般の人が書いたものにとっても興味がある。お手紙だけでなく日記も興味がある。

当時の暮らしについてやそのことについてどう思っていたのか、何を考えて生きていたのかを知りたい。書いた人の感情がのった現物があるっていう、モノとしての価値も感じる。

この部屋、何か嫌な感じがするというスピリチュアル的なことを、ちょっと信じているから。 紙にのった念みたいなものがあると思っている。(でも呪いとか大嫌い)

以前、高崎達之助という政治家であり実業家の残した日記をデータベース化したことがある。

これがまた達筆で読み解くのが大変だった。庭にきた小鳥を観察するなど日々のことを記してあって微笑ましく、同僚とこんなこと書いてあったよと話をしては楽しんだ。(どんな仕事!何でも屋的な感じだった!)

データとして、なんとか文字にはなったけれど、その手書きのモノがもつ情報の全て(念も!)はデータ化できないよね。

紙は何百年も残るそう。

データはいつまで残るんだろうか。

このブログも、消えゆくことはわかっているし、それでいいのだけれど、紙にも手書きで何かを記して生きてみようかなと、考え直したのであった。

ちゃんちゃん。

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ということで、紙の手帳を購入した。

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