先日の神戸新聞にて。
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喪中は、メールではなく葉書でいただくのが、しっくりくるというようなお話。
ほんとに、そう。
メール、LINE、とっても便利であるけれど、便利というのは、人間らしさを失うことでもある。そのうち便利なAIに乗っ取られるだなんて、映画だけの話じゃなくなりそう。
心が通う、心を込める、紙にしたためる手書きの文字。行間から、筆圧から、文字の大きさから、インクのにじみから、色んなことが感じられる。
相手を想う時間を、丁寧にカタチにする。
悲しいお知らせは、お手紙で。
幸せな報告は、ツールは何でもいい。
しみじみそう思った。
そして、そのうちくる親、友人の死、もしかしたら、先に自分の死かもしれない。そのとき、その前に、お互いの気持ちの整理がつくよう、近くにいることを、選びたい。
育児という希望の塊の側にいれること、感謝している。いつも退屈していたけれど、子どもたちがいると、退屈とは無縁。毎日、子どもたちが眩しくてしょうがない。
そんな成長がいつしか、老いに変わる。
ただ、老いるのも、時間がいる。
まだ、もう少し、わたしも、成長したい。
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