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執筆者の写真kayo

文学を学ぶと見える世界。

なんでも、学ぶと見えてくるものがある。

私は本を読むのは好きだけど、文学を学んだことがない。

先日こんな話を聞いた。

「主題がない物語は、評論する価値がない」

ほう。

主題がないというのは、ライトノベルなんかでよくある?「かっこいい男の子と恋愛する話」のようなものをいうらしい。ただおもしろいだけ、というもの。

私が書く文章は小説ではないので(小説もそのうち書いてみたいという野望はある)、今書いているこの文章も含め、特に主張したい内容はない。こんなことあったよ、というだけのもの。広告となると、その商品を売ったり、会社のイメージをつけるためにひねる。取材した文章も、直接的に伝えたいことを言うことが多い。

自分が主張したいことを文学という、文字列を使って表現するなんて、非常に高度な技すぎてクラクラする。(でも小説書いてみたい)(おんなじ気持ちでミュージシャンとかもまじすごいと思う)

物語を読んで、または映画などに対し、主題を考えることで得れる何かや深い楽しみみたいなものもあるんだろうけれど、ただ心地よいと感じるだけだったり、ただおもしろいと楽しむだけでも十分な気もしている。そして主題がないものであっても、楽しんだもの勝ちな気がしている。

多分、学んでしまったら後戻りできないので、文学を学びたい気持ちとやめておこうという気持ちの間にいる。

私は評論には興味がないので、学ばなくて良いのかもな。

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少し話は逸れるけれど、私が今までで一番後戻りできないと思った出来事は、出産である。

生まれた子を見たときに、「これでもう、私の目線はほとんど母としてになり、子としてではなくなる」「子を産まない、子に恵まれない選択をした人の気持ちはもうどうやってもわかりっこない」と思ったのである。

何より一度死んだ気持ちだった。(実際しんどくて死ぬかと思った)

体験しないとわかりっこないことだらけで、体験していないのに意見を言うななんて暴論も飛び出す現代。

でも、想像することはできるんだよ、人間は。

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自分が見たい世界を選ぶのが、良いんだろう、きっと。

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いつものようにつらつらと思いの丈を一気に書き込んだので、まとまっていないけれど、それも私。

そして、この文章を読む価値はあんまりないと思う!ここまで読んでくれた人、本当にありがとう。

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