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病院に、思うこと。

長男がまるまる2週間入院した。


最初はマイコプラズマ肺炎という診断で、診断がついたことにほっとした。しかし、肺炎って今の時代すぐ治るでしょという私の楽観的な考えは覆されることになり、1週間経ってもあまり良くなっていないと聞いたときは、めちゃくちゃ焦った。治らなかったらどうしようと不安でちょっぴり泣いた。私が生きている意味ってなんなのだとすら思えてきた。子どもの存在ってあまりにも大きい。


さて、私は病院が、苦手である。偏見にはなってしまうが、おおよそ窓のない暗い空間に、蛍光灯の光。謎の機械の数々としんどそうな人々。仲良しの医師なんているはずもなく、初めての人と会話するのはそれなりに神経を使う。ちゃんと話を聞いてくれない人もいるし、診てくれていないと感じることもある。そうかと思えば、検査過剰なのではというぐらいたらい回しにされることもある。処方された薬が、本当に必要な薬なのかもわからない。

どれも必要なことで、命を救おうと思ってやってくれているから文句が言えない。文句が言えないところが苦手に繋がるのかもと今、書きながら思ったところである。


そうは言っても病院はないと困るし、病院がなかったらすでに私は死んでいる気がする。崇めることはしたくないが、感謝はしたい。何もかもが、いちいちありがたいことである。


話を戻す。長男が入院することになった病院は、以前住んでいた家の近く。つまり、今の家からも近いので、歩いて行けることがよかった。大人でも一人で病室に取り残されたら寂しい。出来るだけ付き添いに通った。

勝手知ってる病院でやりやすかったのだが、もう一つよかったことがありそれは、景色である。





山手にあるので、神戸の街が見下ろせる景観があり、それが鬱々とした気持ちを少し晴れやかにしてくれた。

総合病院には散歩できる緑あふれるお庭があるべきだと常日頃から思っているが、お庭の次に景色も必要だと思った。ちなみにこの病院にはそんなお庭はない。入院中、長男は部屋の外から出られない(感染症なので)。窓の外を眺めるしかない。現実はテレビやゲームを眺めるのだけれど、外とつながっている窓の存在はあまりにも大きい。(テレビもゲームも外と繋がっているからよかった、ゲームしながら友達と会話できていた)

私の持論、希望が病気の治りを早める。これこそ偏見かもしれないけれど、閉じ込められてナニクソとエネルギーを沸かせられる人はいいが、閉じ込められて気が滅入る人もいるはずなので、無機質な病室には、大地を感じる窓の外が必要であろう。看病する方も、外を眺めたいし、今日は外は寒いよ、とか雨が降りそうだね、とか言いたいのである。





医師も看護師さんも無理なく働いているのかな、夜勤があるのってしんどいよな、入院でわがままになっていたり機嫌が悪い患者と接するの疲弊しそうだな、と、やっぱり頭が上がらなくて、こうやって色んな人に助けられて生きているのだと思い知らされた2週間となった。


無事、昨日退院し、今日から学校も行っている。

食欲が戻り一安心。

私も日常に戻れそうである。


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書きたいことが溜まっている。

やりたいことも溜まっている。

ゆっくり生きることができない性分のようである。





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