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執筆者の写真official

ごみ

ゴミと、ゴミじゃないものの境界線は極めて曖昧である。子どもが作って持って帰ってきたものも、私からしたらゴミである。そのうちゴミではない飾りたくなるものや実用的なものを持って帰ってくると信じている。 もう着ない服は持ち主にとってはゴミであるが、着たい人やリメイクに使いたい人からしたらゴミではない。 使わない物も一緒。いる人にとってはゴミではない。

あからさまなゴミも、時々ある。お菓子の入っていた袋や包装トレーや使ったラップ。我が家では使ったラップは洗って何回か使うけれど、生肉や油ギトギトになったラップは流石に使わない。ゴミである。お菓子の入っていたパッケージを洗って使っている人をまだ見たことがない。みんなゴミになっているんだろう。

日常の、家庭で出るこのような細々したゴミ以外にも、ゴミはいろんなところにある。

こうやって書いている私のブログも、ちょこちょこ撮影したデータも、結局そのうちゴミになる。データというものは溜めても場所を取らないと思っているけれど、サーバーや精密機器の力あってこそ。これらを作り維持するためには高度な技術と環境への負荷が必要。どうでもいい(けれどどうでもいいものにも価値があったりするから難しい)情報と必要な情報の取捨選択が難しいように、削除するべきデータ(つまりゴミ)と残すべきデータを分けるのも難しい。

一応ゴミということになっているけれど、ゴミってゴミではないんだろう。地球の一部で、私たちが生み出したものの一部。体から出た途端に排泄物が汚いものと認識されるように、ゴミと認識されるからいらないもの汚いもの邪魔なものになる。

ゴミという概念がなければよかったのかもしれない。

なんて。

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エコブームだけど、実際どうなの?みたいな内容の女子エコ日記を読み始めている。アメリカで一つずつエコっぽいことをやってみていっている様子が面白い。私は環境が大事だと思っているし、大量生産大量消費、お金至上主義で、とにかく壊せ作れ捨てろ買えというのがしっくりこないので、勝手にものは大切にするようにしているし、無闇にコレクションしたりもしない。だからと言って他の人のやり方に口を出す気もない。取り巻く社会のルールや人々ともうまくやっていくために、自分の方が形を柔軟に変えていく感じ。

本当に地球温暖化なのか、エコと謳っているものが本当にエコなのかすら疑問に感じているし、自分が正しいと思えたことは一度もない。ひたすらふわふわしている人間なのである。

読んでいるそのエコ日記は、なんと2010年の本。今もう2022年。12年!でも日本に住む人の感覚はこの日記を書いた頃の筆者に近いと思う。

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今度インスタにあげようと思っている漬物プレート。地味だけど、こういうのが好きになってきて老いを楽しんでいる。

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