Tかわ

更新日:9月26日

聞いていただけますか。
今朝、3時に目覚まし時計が鳴ったんです。スマホではありません。目覚まし時計です。
子供が設定したのでしょう。
迷惑すぎます。3時に起きたい人なんて釣りに行く人ぐらいじゃない?
40年ぐらいも生きると、一度起きたらまたすぐに眠れないことが増えるのです。
今日もそのパターンでした。
この頃ストレスが大きくて、眠りも浅いのです。
疲れてはいるのです。
寝たいんです。
でも眠れないので仕方なく4時半に布団から出ました。
お茶をいれてリビングでスマホでダラダラSNSをみて、やっとエンジンがかかってきたので5時から仕事をするか、とパソコンを広げてカタカタし始めた途端、小1と小6の男子が起きてきました。
まだ寝ていてくれよと内心思いましたがね、「おはよう」と普通のテンションで挨拶しましたよ。
すぐにゲームをやりたいがために、「公文やるわ」と小1が取り掛かったのはいいのですが、いつもは一人でやるのに私がいるから、「わからない、教えて」「これどういう意味」と話しかけてきます。
仕事に集中などできません。
今日仕上げなければならないのです。
そんな日曜日を過ごしております。
ー
小1男子の図書館で借りてくる本が毎回「それ借りたん?笑」となります。
今回の本も興味本位でめくってみたら、3回見たら死ぬ絵の写真が載っていて、怖かったです。
ー
タイトルについてのことを書くのを忘れかけておりました。
『Tシャツが乾くまで』を一気見し、あずさが亡くなって、あずさの子どもがすごく悲しんでいるだろうがそこら辺は出さないスタイルのドラマだったな、サスペンスじゃなくて人間ドラマだったのか、ぐらいの感想でしたが、いろんな人が考察してみたり批評してみたりしている文章を読み、皆賢いな〜と感心したので、もう少しだけ考えたことを書いてみようと思います。
このドラマは「自分が心地いいか、という物差し」を描いているのだという意見がありました。
そうね。結婚は個人同士がするもので、うまくいかないならやめればいいし、夫婦という関係ではない、ほどよい距離のいい感じでいられる関係で、心地よく自分らしく生きていくのがいいんじゃない?みたいな主人公でした。
両親と不仲なので個人同士の結婚になることはどうしようもないと思うんですが、自分至上主義のような感覚に違和感を感じるのが、現代を生きる"ちゃんと生きている"人たちなのだと思う。
家族を大事にし、土着の信仰みたいなものが宿っている人たち。
面倒なことや煩わしいことが多くても、地域と関わりを持ち、文化を継承し、子供を産み、地域で育てていくスタイルが日本的なのだと思う。そうやって日本全国で人々は暮らしてきたが、地方の若者は都会へ出ていくのが一般的となり、東京の人口集中が止まらないのが今。東京に出てきた若者は子供を持たないことも一般的。中にはお給料が少なくて日々生きていくのに精一杯の人もいる。Tかわのようなドラマにも違和感がないのは、自分中心の考えが叫ばれる社会構造があるのかもしれないと考えてみた。(全然違うかもしれないけど)
自己責任って言われるたびに、キュって体が硬くなる。
私はぼんやりしているから、こういうスタイルもあるよね、ぐらいのことしか思わなかったけど、それはさらに自己責任論をぶつけてくる社会を肯定していることだったのかもしれないと怖くなった。
この頃、今後どうやって生きていこうかと考えるたびに思うことがある。
私は親元を離れ、自分が生まれ育った地域から離れた。
さらに、生まれ育った地域と同じだけ暮らした関西も離れた。
そうなると、それはそれは自由なのだが、しっかりとした根は張れない。
根が浅いから、大きく育たない。
私はもう大人なので、そんな生き方も自分が選択したことであって受け止めているが、子供達はどうなんだろうと心配になることがある。
幼少期から関わってくれている人がいる、ダメなところもいいところも知ってくれている、成長過程で声かけをしてくれる、そんな一見当たり前のことが、一番大事な気がする。
せめて、私の子どもたちに子どもが産まれることがあったら、近くで孫の成長は見守り、声かけをしていきたい。



コメント