SATCのキャリーのようなタイトル。
息子を育てるにあたり、いい男になってほしい、と願っている自分に気づく。カッコよければなお良いけれど、遺伝子的に難しかろう。わかってはいるがせめて、雰囲気イケメンまではいかなくても、多少の爽やかさと適度な清潔感は持っていてほしい。
そもそも、いい男ってどんな男なのか。定義なんてもちろんなく、時代によって変わるどころか、個人個人によって違う。
私にとっていい男は、たとえば、笑顔が爽やかで程よい筋肉と180センチぐらいの身長、ありがとうごめんなさいが言えて、話が通じる、相手を尊重できる、かつ家事育児がしっかりできて、語学が堪能で、面白いことを思いつき実行する行動力もあり、それに伴い周りからの信頼もあり、な故にそこそこ稼ぎ…
嫌になってきた。そんな人が、私を相手にするとは思えない。
しかも、いい男というか、都合のいい男なのである。私の理想の彼氏、みたいな幻想。幻である。それを、息子に押し付けるのは明らかに間違っている。
現在お紅茶をいただけるカフェにいるのだが、隣の席の男子二人、推定24歳が、紅茶の香りを楽しんでいるのを見て、とってもいいなぁと。談笑している。紅茶を、男子二人で楽しめる!素晴らしく魅力的じゃんか。たとえカップルだとしても、なんの問題もない。 ケーキまでちゃっかり頼んだりして。豊かなお茶の時間過ぎはしないか。
ナチュラルに生活することを楽しんでいる男の人って、魅力的なんだなぁと気づいた火曜日の昼下がり。
息子には、季節感を楽しむこと、空を見上げること、草木を愛でること、そんなことばかり教えている。これからどんなことに、心を動かしていくのかわからないけれど、地球に生きているということ、感謝することが感覚的にわかっていれば、そんなに変な方向には向かわないのでは、と楽観的に思っている。
いい男ではなくて、チャーミングな男の人というので十分なのではないかと、考えを改めた。
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