おとついのこと。
京都駅の近くで仕事があったので、オンライン上でしかお会いしていない京都におられるお仕事関係の方に会いに行くことにした。さらに、そのついでに行く機会を探っていた「河井寛次郎記念館」にも足を伸ばし、仕事半分、遊び半分でブラブラとしたのだが、京都を歩いて思ったのが、タイトルにもある「今はすぐに、過去になる」ということ。
どういうことかというと、京都ってみんなの中にイメージがある。ある種のブランドだから。教科書に載る歴史がたくさんあり、文化財もたくさんある。それぞれが思う「京都らしさ」はいっしょではない。日本らしい場所と言うとやっぱり京都になりがちで、外国人観光客も多い。憧れのブランド。(多分)
完全に仮説であり私の意見にはなるんだけど、京都は新しいものを受け入れる空気感もあるから、みんながそれぞれ思う京都らしさとか、京都はこうあるべき、とか、京都にはこうであってほしいっていう想いを形にしやすい。で、バラバラと京都っぽいものが乱立する。京都っぽい商品が生まれていく。まるでファンタジーの世界。一応行政が決める景観に基づいているんだろうけれど、なんか、「っぽい」が溢れていて街も嘘っぽく思えてきたりする。でもそれも含めて京都らしいなと感じるのも確かで、実際に住むと違うのかもしれないけれど、なんか地に足がついていないような感覚になる。
その体験が、面白かった。
お仕事関係の方に会うために、三条の方に向かおうとして、烏丸御池の駅で降りて歩くことにしたら発見したのが、こんなサイン。

どっちの方向に出るか迷っていたけれど、「ん?フェンスみたいなのにサインがあるって見たことない気がするな、今どきの施設っぽい、新そうだな」と思って入ってみることにした。
かわいいし、オシャレだし、全体的にこういうの好きなんだけど、モヤモヤ。
新風館っていうのね、と思いながら外観を探す。いい味出してるね、と思う。

入っているテナントも軒並みスタイリッシュな感じ。そして、外国人向けかなといった感じ。
京都でこういうのを望んでるでしょ?みたいな。

植物のお店もあった。

中庭も、建物の構造や細部の造形も、好きではある。おお、凝ってるなと関心もするし、いいなとも思う。こんな施設があるなんて知らなかったな〜と思うんだけど、やっぱりなんかモヤモヤ。
ホテルもあり映画館もあり、何の文句もない。ここで映画を見てみたいな、とも思ったし、宿泊してみたい気持ちもある。おしゃれなテナントをゆっくり回ってみたい気持ちもある。

でも、この「今」って感じの施設は、もう「今」じゃなくなっている。確かに今っぽいんだけどもう過去になりつつあり、過去になったときにどう価値がおかれるのだろうかと疑問に思い、「今っぽい」「京都っぽい」ファンタジーの世界にいるような感覚に陥る。モヤモヤの原因はおそらくここにあろう。暗澹たる気持ち、とまで言ってしまうと大げさなんだけど、その一見すると煌びやかな施設に影も感じたってところか。(自分でも何言ってるかよく分からなくなってきている)
気になってwebサイトをみたら、2020年にリニューアルオープンした施設らしい。そしてやはりと思ってしまったけれど、隈研吾さんが携わっていて、伝統と革新の融合的なことがコンセプトとのこと。
ここまでまさに、「いま」という、今を感じることができる場所も案外珍しいかもしれない。
まるでSNSのトピックのようにダラダラと知らぬ間に流れていく、そんなもののひとつになるのか、はたまたドッシリとどまるものになるのか、興味深いなと。
ちょっと歩くだけでこういうものと出会える京都って、ほんと面白い。
そして、河井寛次郎記念館に行って、ホッとしたのである。ちゃんと地に足がついた感覚があったから。
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