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執筆者の写真kayo

初、藝祭

東京藝術大学という響きに憧れがある。

ということで、初めて東京藝術大学の学祭に行ってみた。9/7の土曜日のことである。


以前テレビで藝祭を追いかけたものを見て、1年生が制作した御輿に興味があったことに加え、知人に「藝祭、面白いよ」と聞いたことが後押しになった。


そもそも藝大がどこにあるのかも知らず、当日に調べたら上野にあるらしい。そんな都心にあるのね。さすが。でも上野は人が多くてしんどいからいまいちイメージが良くなくて、なんか私の肌に合わない空気感も漂っているから、一瞬尻込みをしたのも事実。今行かなければもう行かない気がしたので、深く考えるのをやめて、子どもと一緒に家を出た。


上野駅は相変わらずの人。そして、公園でも藝大生が出店をしていて、かなりの賑わい。ところが、暑い。めちゃくちゃ暑い。この暑さじゃ何も考えられない、というレベルの暑さ。ゆっくり見たり感じたりできないから、来年からは10月にしたらいいのにと思ったほど。暑さに負けて、ほぼ何も見ずにキャンパスへ向かう。


道路にドーンとある御輿に、これこれ!と思うが、人も多いし暑いし4歳が抱っこしろというので、写真を撮る余裕はなかった。ついこの間まで高校生だった子たちが作り上げたんだと思うとその出来の良さも尚感慨深い。

本当は建築や絵画の展示を見たかったのだけれど、子どもたちが嫌がったので、サクッと入り口近くの展示だけ見て終わることにした。




こういうの、好き。

データじゃなくて、モノがあるのがいい。


遊ぶ場所じゃないと気がつき、そうそうに飽きた子どもたちは建物の横で退屈しのぎをし始めた。



石を積む人。



これも芸術。



藝祭に行って思ったのは、10代後半から20代あたりはちょうど芸術家としては難しい時なのかもしれないなということ。多分、小さい子の感性には負ける。もちろん、技術はみんな身につけているし、思いもある。ただ、それをどう昇華していくのか、自我や社会の見つめ方がまだふわふわしている気がした。

商業ベースで素晴らしいものを生み出すのもいいし、暮らしに小さなアートを取り入れるのでもいい。芸術家というのは年齢を重ねるごとに、生きるごとに深みを増していく仙人のようなものなのかな。焦らず、やりたいことややるべきことを積み重ねていってほしいな。その先に何があるのか、楽しみにしている。


なにはともあれ、可能性の塊しかない若者が集い存分にエネルギーを発散し、先生方が凌ぎを削る学びの場は、やっぱり私にとって憧れであり聖域のような場だった。






でも、私はとことん

学校ってものが、嫌いだったな。

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