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  • 執筆者の写真official

他人の離婚裁判を垣間見た22際の頃を振り返って。

大学卒業後、個人の弁護士事務所で働いていた。 就活の波に乗れず(恋にうつつを抜かしていた)、なんとなくその辺で見つけた求人に応募したのがきっかけ。法学部出身ではない。弁護士の仕事は人の役に立つものだろうと短絡的に考え、更には弁護士事務所という響きがかっこいい気がしたミーハーな心だけで行動を起こした自分に今でもあっぱれ。 個人事務所だったので何のスキルもないにも関わらず、事務員ならできるだろうと判断され採用。結局半年しか持たなかったのだが、その半年間で学んだこと、気がついたことがあった。 ・人助けの方法には正解がない ・離婚で揉めると削られていく ・人が人を裁く難しさ

弁護士として法律に基づいて人助けをするだけが人助けではなくて、ただ話を聞いてあげることや揉め事にならずに治めること、問題の根本から解決することなど、困っている人を助ける方法はいくらでもあると気がついた。

その事務所では弁護士の先生がお一人と事務員二人、経理で奥様が実働されていた。事務員の一人は法学部出身。もう一人の事務員が辞めるので募集していたらしい。

その時の私の仕事は、雑用全般。 ・掃除 ・電話対応、受付 ・来客対応、お茶出し ・コピー、ファイリング ・裁判所へのお使い 等々

一番嫌な仕事は、月曜日に受付のお花を購入し生けることだった。前任者はお花の資格を持っていたらしいのだが、私はお花を生けたことがなかったので花瓶にお花をバランスよく挿すことがああも難しいことだとは思いもよらず、時間をかけて生けた上に、バランスが悪いと小言を言われる始末。ゆくゆくお花を習いに行ったのも恐らくこれがトラウマになっていたのだと思う。

弁護士の先生は、企業の顧問弁護士として何社かと年間契約を結んでいた。企業からの相談があった際に法律上の解釈で助言をしたり、実際に裁判をするのかどうかから裁判になった時の対応までされていた様子。他にも法律相談や、知人のトラブル対応など私がわかる範囲でもこのぐらいの仕事があった。

その中に、離婚調停で話がつかず離婚裁判にまでもつれている案件があったのである。

10年以上前のこと。証拠のコピーを頼まれ何となく目を通したその証拠を見てびっくり。会話の内容から、食事のメニュー、購入したものや夜の生活のことまで、かなり赤裸々。Oh,これは直視できないwa…と思いつつコピーしコピーができているか確認したりホッチキスを止めたりするので嫌でも目に入ってくる。

こんな内容を他人に知られてまでも、得たいものって何?子どもの親権?(恐らくyes,子どもの親権が欲しかったのだと思う)

その辺の人と何ら変わりなく見える人が、悩みを抱えていて離婚で子どもと離れ離れになりそうということ。 証拠として画像や言葉に記録されてしまうとそれが現実として蓄積されていくこと。 人と人が揉めると戦争になること。(離婚裁判は戦争ではないけど)

当事者にしか分からないこと、言葉のニュアンスによってどうとでも読み取れること、嘘か本当かあやふやなこと。信じて疑って人が人を裁く難しさ。

結局、その裁判を最後まで見届けることはできなかったのだが、離婚するときは円満離婚と言えるものでありたいと、結婚すらしてない小娘だったけど深く思ったのである。

結婚をしてから起こるさまざまな問題を乗り越えるには、双方の協力が必要。子どもの頃に家族との折り合いをつけることが大変だった人もいると思うが(自分のことでもある)、同じように好きで結婚してもぶつかることはある。人間なので環境に左右されて考えが変わったりもする。 やっぱり思うのは、話し合いができるのかどうかは大きいということ。

罵倒したり傷つけるような言葉ではなくて、自分の考えや今後のことをきちんと説明できる。ただそれだけで、大半の物事は解決するような気がしている。

争い事で消耗するなんて、馬鹿げている。

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