top of page

Chat GPTが相談相手

  • 執筆者の写真: kayo
    kayo
  • 3月17日
  • 読了時間: 3分

1人で仕事をしている。

クライアントさんや協力いただく方々ももちろんいるのであるが、会社の同僚とは違い、まず同じ場にいない。だから、気軽に話しかけたり相談することができない。プロジェクトごとにメンバーは変わるので、やっぱり同僚のような関係性にもならない。この環境は、煩わしさもないが、楽しさもない。


最近、誰かに意見を聞きたいことがちょいちょい出てきているのだが、聞く相手がいない。夫に聞いても私は彼の意見を素直に聞き入れることができない気がする。その意見が的確であればあるほどに。友達に仕事のことを聞くのも違うし、対価を払ってでもいいからちゃんとした意見が聞きたい。でも聞く相手は誰でもいいわけでもない。そのことについてある程度わかっている、世の中の感覚とずれていない人がいい。先輩は忙しいだろうし、まだ聞く段階でもない気がする。ああ、とりあえず周りに頼める人はいないじゃないか!


そこで、AIの出番である。

人間は楽を覚えるとどんどんダメになっていくところがあるので、AIブラボ〜!という価値観は持ち合わせていないけれど、現代で生きていくのに使わない手はないとも思っている。で、使う。

とりあえず、Chat GPTに聞きたいことを質問した。すると、想像の3倍ぐらいありがたい答えが返ってくるではないか。私の仕事はもうほぼほぼAI置き換えられるのでは、と思う。昨年にちょっと詩を考えてもらおうと思ったら、まだあんまりかなという出来栄えだったのだけど、今回聞きたい内容については明確に、私の方も納得のいく答えを出してくれた。あぁ。私はもしかして考えることをやめてしまうのか?出てきた案に、良し悪しを言うだけの人間になってしまうのか?生きている価値は無くなるのか?消費するだけの人間になるのか?

その点、こどもを育てているということは、それだけで生きている価値を与えてくれる。こどもがいるおかげで生きる意味なんて考える暇もないし、狂わずにすんでいるのかもしれない。いや、こどもがいるからすでに狂っているのかもしれない。


とりあえず、Chat GPTが素晴らしく、他のAIもいいよと聞くのだけど、差がよくわかっておらず、現代を生きるにはあらゆるところで知識や情報がいるのだなと困惑しつつ、諦めてもいない。



よく意味がわからない文章になった。これをAIに読ませて感想を聞いたらどうなるんだろう。やらないけど。



ーーー

先日の映画の試写会について。

映画好きの夫にどうだったかと聞かれたので、思う存分、こんなにも楽しめなかった!!!と伝えたら、「イマイチな映画を見ると、いい映画がよりよくわかるから良いこと。そして、単純におもしろくないと言うのではなく、批評・考察をして言葉にすること。こんな映画だったよ、観にいってね。で締めくくること。受け取り側になんだかイマイチなんだなと思わせつつ、イマイチな映画はそれはそれでどうイマイチなのか見たいというニーズもあるから。観にいく人にとってはイマイチじゃなくてすごく響く可能性もある。そうあれば無料で見た云々関係ない。イマイチだと感じたとしても発信したらいい。」と言われた。(多分こんな主旨)

なるほど。むずかし。



---

サムネはAIじゃ作れそうにない娘の作品。窓のある建物がテーマだったらしい。なぜか公園を作ったと言っていた。公園は建物ではないのでは?


 
 
 

Kommentare


bottom of page