「ふつう」なら「ふつう」なりに
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- 11 分前
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発達障害の中でも一番多いとされるADHD。私の友人は、「うちの家族、全員ADHD」と豪語している。(多分あっているが、当家族は皆優秀でありADHDで困ってはいない。)
私もADHD傾向がある気がするけれど、チェックリストで簡易的な診断を行うと違うような結果が出るので、はっきりしない。(いっそADHDな方が、言い訳できる気がする弱い卑怯な心の持ち主…)
どうやら長男の方が傾向が強いようで、私が借りてきたADHDに関する本を読んで、「ADHDだと確信した」と言っている。Oh,自分でわかったか、小五にして!(でも多分支援は必要ない軽いやつ)それを言い訳にせず、頑張って心身を鍛えてほしい。
先日、「なんとか、できは、する」という苦悩というブログを書いた。その悩みを知ってか知らぬか、AIには全部バレているのか、SNSに「マルチ・ポテンシャライト」がピコンと浮かび上がってきた。
転職サイトのインディードにも記事があった。端的にいうと、マルチ・ポテンシャライトは、器用貧乏、縛られるのが嫌、自分を使い切っていない気がする、スペシャリストに憧れるがなれない、習得が早いが長続きしない、などをひっくるめた潜在能力がある人の概念らしい。違うかもしれない。提唱している人の本は図書館で予約中で、まだ読んでいないので、いまいち理解していないのだが、私の悩みにドンピシャな気がしている。(いろんな能力がある、習得が早い、に該当するかはさておき、、)もう人生半分もきてしまったのだが、この本に今後の指針に関するヒントが見つかるだろうか。
と思っていたところ、もっと私を救う記事を見つけたのである。
2025年12月19日の読売新聞朝刊
浅井リョウさんのお話。
(えへん、二日に一回は新聞を読んでいるもんね!全ページではないけど!日経新聞は難しくて読めてないけど!)

彼のようなすごい人、素晴らしい創作物を生み出すような人であっても、ふつうなところ、彼のいう「興味や関心が大衆と合致している俗っぽい人間」なところがあるのだ。だからこそ書けるものがあるのだ!
思い出した、私は「ふつう」が強みなことを!!!
いや、彼のような幼少期から物語を書けるような人間とは次元が違うのはわかっている。
けれど、「ふつう」だからこそたくさんの人の心がわかったり、たくさんの人に引っかかる部分があるのではないか。大衆を味方につけることができるはず。突拍子もないことはやらなくていいんだと、真面目にできることを積み重ねようと思い直し、別にちょっぴりしか人に貢献できなくても、それはそれで十分なのではないかと思うことができ、ホッとしたので記させていただく。
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どうでもいいけどもう一つ。
給料アップの記載の時に、「パートの2倍、新卒で就職した頃の給料に並んだ。」って具体的に何円なの?と思うし、39歳で新卒で就職した頃に並ぶことがイレギュラーなことのように書かれると、現実の辛さを感じる。しかし首がもげるほど理解できる、結局それこど「ふつう」の女性は出産でキャリアが途絶えるとまた1からなのである。「国家資格は取得しておけ」というのが我が家の家訓になりつつある。(私が唱えているだけ笑)

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今朝は初めて、自宅から徒歩5分のコメダ珈琲店で仕事をしている。
土曜日の午前中、勉強や仕事をしている人たちでいっぱいで驚いている。
(コメダ珈琲はちゃんと儲かっているのだろうか)と思うが、やっていけていて経営手腕すごーいと感心。
ものすごくありがたいことに、席は仕切られており、コンセントまである。カウンターの奥行きもあるので、パソコンを置いても紙の資料も広げられる。めちゃくちゃいい!快適!
家だと、子供たちが騒ぎ、汚い部屋の掃除・片付けをしたくなり、ご飯の準備などにも気を取られ、仕事するする詐欺みたいになるので、こういう場所があるのはありがたい。ああ、都会ってすごい。東京23区の一番田舎とされている練馬区のさらに一番埼玉県に近いところなので、一部の人からは都会ではないと言われるが、地方出身民からすると都会であるのだ。だって徒歩5分ですよ。
ということで、仕事に戻ります。では。



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