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  • 執筆者の写真official

何にも、やりたいことがない。

そんな時期、ありましたか? 今、時間ができたらいざ、やりたいことがない、という人もいるかもしれません。

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私はまさに小学生の頃が、そうでした。

今ではやりたいことだらけですが、小学生の私には、何一つとして興味をそそられませんでした。どの授業も面白いと思ったこともなく、学校も行きたいと思ったこともない。

友達がいなかったからでしょうか。 ちょうど小学校に入学するタイミングで引越しをし、ガラリと環境が変わったのです。それまでは、外にでたら誰か友達がいる、親の仕事関係の宿舎に住んでいたのですが、引越し先では、外に出ても友達がいない。気軽に遊べる環境ではなくなりました。小学校の休み時間も、一緒に遊びたいと思う友達もおらず、ちょっとお話をしたり本を読んだりしていました。

友達の数はごく僅かしかいなかったので、毎日小学校から帰ったら、一人で家にある本や漫画を読むしかありませんでした。そして、ときどき5歳離れた妹と遊びました。何もやりたいことがない。与えられたことをやってみても全く面白くない。暇を持て余して私がやっていたことは、読書と昼寝のみでした。この頃は、食べることも好きではなく、食べないといけないから食べてる状況でした。

なんてこの世界は退屈なんだ、と本気で思っていました。

何にもない、と思っていました。何でも揃っているのに、何もない。

好きなことがないので、いよいよ世界はグレーです。自分が生きているのか死んでいるのかもわからない感覚。いてもいなくても一緒。(今もそうですけどね)

好きなことがないなりに、あえて好きだったと記憶していることをあげると、鬱蒼とした茂みや森を駆け回ったり、高い崖から飛び降りたりといったことです。体からエネルギーが満ち溢れる感覚がありました。でも、住宅地ではなかなかできないことばかりでした。

この調子で、あろうことか中学高校でも、退屈な日々を送っていました。本当に、何にも興味がなかったのです。部活もしていません。興味がないのだから当たり前。

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なぜこんなに振り返ったのかというと、いま、7歳の長男も同じ感じかもしれないから。

暇や暇やと嘆くので、好きなことをしーや、と言っても、好きなことがない、と。

しゃーなしで家にある漫画や本を読み、それでも退屈してテレビを見たりしています。

習い事も、好きで続けているというよりは惰性というか、やめるほど嫌でもない、という消極的な理由な気がします。あとはやれって言われてるし与えられたことをとりあえずやったほうが良さそう、というこれまた消極的な理由。ドッヂボールクラブに友達から誘われているけれど、それもどうしてもやりたい、というわけではなさそう。

興味があることやイベント関係は、積極的に参加するタイプなので心配はしていませんが、退屈すぎて床を寝転びながら進んでみたり、布団の上で寝るわけでもなく天井を見つめてみたりしているのをみると、退屈ってどういう状況だったっけ、と思い、自分のことを振り返ったりしています。

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今のところの結論は、暮らすことに不自由がないということは、自分がなくなってしまうということかもしれない、ということ。しばらく長男には、家事を一緒にやってもらうことにします。

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私には、難しかった?のか、全然面白くなくて、ざっと目を通しただけになった本。 結局、何が言いたいのかすら掴めなかった。 無理に理解しようとしたり、最後まで読もうとする気力が減っている気がする。

由々しき問題だ。

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