top of page
  • 執筆者の写真official

選択したつもりがないのに、選択したことになっていることの多さ。

社会の仕組みというのは、複雑に絡み合っていて、一部しか見えない。 選んだつもりはなくても、何もしていないと、選んだことになる、という事例が多いことに気がついて、ますます暮らし方をこだわらなければ、と思い直す。

例えば、服。 ファストファッションで短いサイクルで買い足していったら、遠い国の知らない人を酷使していたり、環境破壊の未来を選んでいるのと同じようなもん。 なので、出来るだけ服を買わないようにし始めた。 おしゃれ好きで、きれいに着飾っている人を見るのも好きな気持ちと 地球環境との狭間にいる。 例えば、選挙。 投票に行かなければ、当選した人を選んだのと同じようなもん。 選挙は、行くと、決めている。 一応、偉い人もわたしみたいななんてことない人も、同じ一票。 例えば、電気。 何も考えず引っ越してそのままにしていたら、関西だと関西電力がほとんど。原発や癒着に手を貸しているのと同じようなもん。そもそも節電しなかったら、地球温暖化を後押ししているようなもん。 とにかく、出来るだけ電気は使わないことを考える。 今年はどこまでエアコンなしで過ごせるだろうか。 冷蔵庫がない生活も想像してみたけれど、ムリと判断。でも、そのうち、やってみたい。 あることが当たり前だけど、ないことを想像する。 例えば、スーパー。 大型店ができて、地域の商店街が廃れるのはよくある話。後から商店街があったほうがよかったなと思っても、遅い。 お気に入りの小さなお店は、ちゃんと活用する。 例えば、会社。 気に入らない会社方針でも、その会社に属している以上、自分も同類。 自分は違う、と思うなら、離れる。

今日、仕事からの帰り道、森友問題の佐川さんのことでビラを配っている人たちがいた。 でも、ビラを受け取れなかった。受け取りたいと思えるようなビラのデザインでもなければ、配っている人たちにちょっと清潔感がなくて、どんなことが書いてあるのか興味はあったけど、手が伸びなかった。 興味があるわたしでも受け取らないビラって、どんな人が受け取る? せっかく活動するなら、人に届く方法を考えて、工夫して活動した方が良いと、 他の人を見ていると簡単にわかるのに、自分のことになると、急に難しくなる。

何を選んでも、正解でも不正解でもなくて、ただ選んだという事実しか残らない。 そう分かっていても、ちょっとは正解であって欲しいなと、望みながら、選んでいる。

bottom of page